文芸部
Penstyle Kobe INK物語 【旧居留地セピア】~NAGASAWA
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高校時代、私が入っていた部活の一つに、文芸部がある。
私が入部したときは、たくさんの仲良し三年生に、
二人の二年生、そして一年生の私。
文芸部の活動は、ときどき集まって、
好きな小説や文学について語り合ったり、
自分たちの書いた作品を批評し合う、ことなんて
まったくなくて、ただそれぞれが書いたものを集めるだけ。
そして、集めた原稿で、年一回部誌を作成する。それだけ。
それだけだったけれど、私はたくさんの詩や、短い物語をたくさん書いた。
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三年生が卒業し、名前を貸してくれる幽霊部員をのぞき、
実質部員は三人になり、文芸部は文芸同好会になった。
同好会会長は柔らかく物静かで、彼の創り出す文章は
とても静かで暗く不気味で、私は彼のつづる小説が好きだった。
会員が一緒の空間で文を作ることはなく、
お互いの作品を読みあう機会もほとんどなく、
ただ、たまに顔を合わせて、原稿増えた?って確認しあうだけだったけれど
「書いている」仲間がいるだけで、一緒に本を作る仲間がいるだけで
私は、たくさんの文をつづることができた。
学校祭の前に、会長がワープロ打ちしてくれた原稿を印刷し、
三人で紙をひたすら折って、重ねて、ホチキス止めした。
そのときが、一番長く一緒に過ごして、一番話をした時間だったと思う。
教室の机の上に、できあがった分厚い文芸誌の山が
私にはとても嬉しかった。
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一つ上の先輩たちが卒業し、文芸同好会には、
三年生の私一人だけが残った。
幸い、私の他の部の友人たちが名前を貸してくれたおかげで
廃部はまぬがれたものの、その年は、
私はほとんど何も書かなかったように思う。
一人で原稿を書き、ワープロを打ち、製本し、
学校祭で配る気にはならなかったから。
私が卒業する間際に、めったに話すことが無かった顧問の先生が、
自分のクラスの生徒を部員に引き入れ、廃部の危機は去った。
一度つぶすと、また作るのは大変だから。
そう先生は笑った。
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卒業して何年かたって、たまたま職員室で先生に会い、
文芸同好会は、文芸部にまた昇格し、部誌の発行も再開したと聞いた。
私は、私の代で部がつぶれなくてよかったと、なんとなくほっとした。
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今また私は、一人で文芸同好会のようなことをやっているけれど、
「書いている」仲間がいると思うから、読んでくれる人がいるから、
書き続けることができるのだと思う。
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