好き嫌いと大人になること
トマトは、私にとって、好きでも嫌いでもない食べ物だ。
そもそも、野菜か果物かも、はっきりしないし。
夫はトマトが大好きで、子供たちも、ミニトマトは食べるし、
手軽に摂れる新鮮な栄養源なので、
食卓にはよく上がっている。
トマトソースの酸味と甘みのコンビネーションは好きだ。
でも、私は、生のトマトやミニトマトを食べるたびに、
いつも微妙な感覚に襲われる。
あの、旨みが凝縮していると言われる
あのドロドロでツブツブの青臭い、種の部分。
あれが、なんとも苦手なのだ。
ミニトマトを初めて食べたのは、小学生の時だった気がするが、
あの、噛んだ瞬間、中からブシュっと
ドロドロが飛び出てきた時の、衝撃。
それが、今でも忘れられないのだ。
でも、食べる、家族と一緒に。
トマトを食べると、身体の中がきれいになる気がするから。
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大人に近づくになるにつれて、
食べられるようになったものは他にも沢山あって、
セロリ、レバー、ビール、とか。
特に、ビールが美味しいと感じた時、
私は、自分が、大人になったなーって嬉しくなった。
苦みっていうのは、そもそも危険信号で、
食べちゃやばいものだよっていうのを人に知らせるサイン
だって、前に読んだことがある。
だから、子供がピーマンが食べられなくても、
本能的に正常で、不思議ではない。
食べても大丈夫だと学習して
食べられるようになるのだそうだ。
今は、その苦みが、身体においしく感じることもある。
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私は、次男の卵アレルギー、次にゴマアレルギーが
発症してから、子供の好き嫌いには、ものすごく寛容になった。
だって、味覚的に、食べたくないんじゃなくて、
身体が、拒否しているかもしれないんだもの。
ピーマンがだめなら、パプリカでも、
おくらでもいいじゃない、って思う。
泣きながら食べなきゃいけない食品なんて、
ないんじゃないのかなぁ。
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基本的に、私は、食べられないものは
ほとんどないけれど、もちろん好き、嫌いはある。
大人が、アレ食べられない、コレ食べられないって、言うのは
ちょっとカッチョ悪いかな、と思うし、
食べられないものは、少ない方が、生きていくのに楽だ。
でも、自分が、コレ好き、コレ嫌いって感覚は
大事にしたほうがいいと思うのだ。
嫌いなものを、好きだと自己暗示にかけて食べるより、
私は、嫌いだけど、身体にいいから食べる、とか
格好いいから、食べる、とか思ってた方が、
精神衛生上、とてもいい気がする。
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好きなことも、嫌いなことも、自覚して受け入れられる
ようになることが、大人になること。
その入口にあるのがトマト。
そんなことをトマトを食べるたびに思ってしまうのだ。
だから、私にとっては、トマトは、好きでも嫌いでもない、
いつも微妙な感情を起こさせる、不思議な食べ物なのだ。
今も、昔も。
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