いま わたしがほしいのは 何も見てない目
もう、何も考えたくない。ずっと眠っていたい。
そんな私の頭に、ふと浮かんだこのフレーズ。
”いま わたしがほしいのは
何も 見てない目
何も 聞いていない耳
おしだまる口だ ”
なんだったっけ?と検索してみた。
ああ、そうだ。
合唱曲「わたしの願い」の「いまわたしがほしいのは」だ。
この歌は、作詞:高野喜久雄先生、作曲:高田三郎先生。
「雲雀にかわれ」と対になっている。
10数年前歌った時、私は、
”水よ きれいな水が 流れているのよ”
という、病院のベッドの上のかけがえのない、
美しく狂った友の言葉である、ソプラノソロをいただいた。
けれど当時は、メロディーと歌詞を追って歌うのが精いっぱいで、
この歌全体を私は全然理解できていなかったのだと、
今、改めて詩を読んで、歌を聴いて思った。
一つの歌の中で、曲調が何度も変わる。
哀しく諦めたかのようなメロディーライン、
憤りと怒りに満ちたフォルティッシモ、
優しく美しく穏やかなフレーズに、
明るく天に昇っていくような壮大な終末。
それは、次の雲雀に引き継がれる。
”あなたがこがれたものの凡て”
何故かと問うことをせず、『あなた』と同じように
『わたし』はとなえてみる。
「雲雀!」と。凡てのものは、雲雀にかわれと。
そして、『わたし』がほしいのは。
”あなたがほしがった ものの凡てを
そっくりそのまま わたしもほしい
ほしがりながら わたしも生きると”
すべてを受け入れ美しく正しく狂った『あなた』を見つめる。
『あなた』への憧れ、哀しみ、狂わずに生きる『わたし』の決意。
空に高く、手を伸ばしたくなった。
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◆Youtube(音が出ます)
『いま わたしがほしいのは』
『雲雀にかわれ』
混声合唱組曲「わたしの願い」より
~山形大学混声合唱団第55回定期演奏会OBステージ
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