音と紅茶の時間TOP
2015年08月29日

本を読むということ

私は小さい頃、本ばかり読んでいて、頭でっかちな子供だったように思う。知識だけ貪るように吸収して、世界のいろいろなことを分かっていると過信していた。

少し大きくなって、実際に自分の身を以て経験したとき、ああ、あの本に書いてあった文章は、こう表現されていた感情は、こういうことだったのか、と実感した。たとえば、身を焦がすような、という気持ちであったり。私は、本当は、何も知らなかったのだと。

文章を読んで想像する、人の話を聞いて思いを巡らせる、というのはけして無駄なことではなくて、でも、似たような状況に出会った時に、自分が実際にどう行動して、どう感じるかということには、小さくはない「ずれ」があるのだと気がついた時、私は少し変わったのだと思う。

その時、私は、本の知識だけで、手や身体を動かさずに判った気になることの危うさに気づいた。実体験を伴わない知識は、経験して身につけたこととは、まるで違う。だから興味があることは想像だけで済ませた気にならず、実際に経験できることは体験してみよう、と思った。

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図鑑で見て知っていると思った生物も、実物を見て触るとまた全然違う印象を持ったりする。前もって得ていた知識と、実体験のずれ、それもまた面白かったりする。思っていたのと違う、うまくいかないという歯痒さを味わうのも面白さだったりする。

・・・の方法、とか、作り方、という本を読みながら何かを作っても、途中でどうしていいか分からなくなって行間にある何かを考えたり、人に聞いたり、違う書物を調べたりすることもあり、最後に本にあるものとは、まったく違うものができあがったりする場合も少なくない。

素敵な踊りを見て、真似て身体を動かしてみたら、フリもままならないし、ポーズもサマにならない、鏡の中の自分を見て、あまりの違いに愕然としたりする。

やったことがないのにすんなり出来る気がしていた自分に苦笑したり、思っていた以上のものができて嬉しくなったり。自分で実際にやってみるっていうのは、そういうことなんだと思った。

人の体験談を聞くことは無駄ではないけれど、同じ空間で同じ出来事を経験したとしても、それぞれの人に生じる感情は違うし、行動も違ってくる。自分でやってみて、受け取ったことは、その人特有の経験。その人独自のもの。

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子供の頃、私ではない人から、どう世界は見えていて、どのように感じているのかを疑似体験できる眼鏡がほしいって思っていた。

私にとって、その眼鏡は、人の話を聞いたり、本を読むってことなのかもしれないな、って、思っていたりする。

posted by かこ at 17:13 | Comment(0) | つぶやき

本の虫

小・中・高校と、私は時間があれば、いつでも学校の図書室に行って、ずーっと本を読んでいた。

本を開く時は、誰にも話しかけられず、誰にも気を使わず、一人になれる時間だった。今いる自分の場所ではない、本の中の異世界に没頭できる時間。

いつもいる図書の先生。顔を知っているいつもの人ではあるけれど、言葉を交わすのは、本を借りたり、返す時だけ。その距離感が居心地よかった。

本を読むのが好き、という中には、誰とも関わらずにいても許される空気感に救われる、という要素も大きかったと思う。

友達に気を使って興味の無い話をして噛み合わない自分に落ち込んだり、中庭に出て鬼ごっこしたりドッジボールをして、上手くついていけないという嫌な気持ちにモヤモヤしなくても許される。読みたい本があるから、という理由で暗黙のうちに断る口実ができるのだ。

あなたは無理をしないで、他人にあわせずに、そのままでいていいんだよ、と思わせてくれる場所が、私にとっては本であり、図書室だった。

大人になった私が居心地よく過ごせるのは、自分の存在を知りつつも、踏み込んでこない店員さんのいる喫茶店。よく行くお店で常連扱いされて、親しく話しかけられるのが好きな人もいるのだろうけれど、声をかけられるようになってしまったから、その喫茶店にはもう行けない、と感じる人も少なくはない気がする。

図書館という存在が、対人関係が苦手な子供の居場所、逃げ場として、このまま守られますように。親切な、おせっかいな大人に話しかけられて、その大人の望むような、人と関わる社交性のある子供になることを求められるというような、救いの無い問題解決をしなければいけない場所に変化してしまいませんように。

学校の図書室と、街にある図書館では、少し話が違うのかもしれないけれど。

本のある空間が、一人でいても、そっと許される、そんな場所のままでありますように。

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posted by かこ at 12:27 | Comment(0) | つぶやき
2015年06月26日

【ネタバレ】2015年夏LUPICIA「お茶の福袋」11ノンフレーバードが届きました♪

ルピシアから夏の紅茶の福袋が届きました。今回は、店頭受け取りではなく、配送にしてみました。

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11 紅茶(ノンフレーバード)ティーバッグ 3,240円

9種類の紅茶が入っていました。一つのパッケージに三角メッシュのティーバッグが10個入っています。6,480円相当とのこと。

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夏に嬉しい、大好きなダージリンが三種類も入っていました!
ダージリン・ザ ファーストフラッシュ、ダージリン・ザ セカンドフラッシュ、ダージリン・オレンジペコ・ブロークン。

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スタンダードな味わいの三種。
ニルギリ・ブロークン、ベルエポック、スリランカ。

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ミルクティーに嬉しい三種。
テ・オ・レ、アフタヌーンティー、ユニオンジャック。

LUPICIA_2015s4.jpg

また、しばらく楽しめます♪


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11 紅茶(ノンフレーバード)ティーバッグ
3,240円(6,480円相当)

ダージリン・ザ ファーストフラッシュ 840円
ダージリン・ザ セカンドフラッシュ 900円
ダージリン・オレンジペコ・ブロークン 720円

ニルギリ・ブロークン 670円
ベルエポック 720円
スリランカ 720円

テ・オ・レ 670円
アフタヌーンティー 730円
ユニオンジャック 720円

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計 6,690円
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ルピシア お茶の福袋 2015夏

posted by かこ at 12:56 | Comment(0) | 紅茶の話
2015年06月16日

「白夜の家族」を終えて〜心に残るものを作っていきたい

すごく久しぶりに舞台に立ちました。芝居という形では、10年以上ぶりです。

昨年末、かつやで涙ぐみながら、カツ丼を食べながら、文ちゃんのことを思い出していました。

かつやの踊り子

そしたら、そのすぐ後に、昔の演劇というかダンスというか舞台仲間から、文ちゃんが残してくれた三人芝居「白夜の家族」の再演をやろう、という連絡が届いたんです。嬉しくてびっくりして、でも演ってみたい!ってすぐに返事をしました。

長い間、舞台表現をお休みしていた私と違って、ずーっと舞台に立って踊り続けてきたレイちゃん、ミカちゃんの二人。一緒に舞台に立つことなんてできるのかな、と、ものすごく不安に思いながら、年明け、最初の打ち合わせに向かいました。

台本をもらって、目を通して、これ、本当に私出てたっけ?なんて言ってしまいました。10年以上前とはいえ、すごく記憶が遠い。多分、このとき、自分で作・演出した作品を作っていて、別の作品にも出演していて、印象に薄かったんですよね。でも、この内容なら、今の私でも、稽古すれば演れる、そう思いました。ダンスシーンや激しい動きが無かったので・・・。

それから月一回位の稽古に集まり、ここのシーンの動きはどうだっけ?なんて言いながら、進めて行きました。いろんなことを思い出して、でも所々、三人ですっぽりと記憶が抜け落ちていてさっぱり分からないところは、新しく作りました。

なにせ、この作品の脚本を書いて、演出していた文ちゃんはもういない。三人で文ちゃ〜ん、これでいいのかなー?なんて言いながら、動画を撮ったり、お互いに動きを見合ったりして、稽古を重ねていきました。

「白夜の家族」は、北へ向かう船を待つ母と子と生まれてこなかったもう一人の子の物語。今、母になったばかりのレイちゃん、既に子供から遠いところに来てしまったミカちゃん、ずっと舞台から離れていた私。以前とは違う作品と自分たちの位置に、戸惑ったり面白がったり。

レイちゃんは生後半年の娘さんと一緒に稽古に来ていたのですが、その娘さんが一歳近くになる頃、本番を迎えました。

金沢文庫、アサバアートスクエアにて行われる齋藤麻生さん主催のmaumaOde(マウマオデ)フェスタ。私は子供たちの運動会と重なりましたが、出演時間を夕方にしていただき、両日、無事に参加することができました。

小さな空間で、お客さんに触れてしまうほどの近い舞台。

一日目は、とても三人の気持ちがしっくりと噛み合った納得のいく本番となりました。二日目は、私としては、最後まで役に気持ちまで入り込めない、外側から自分を客観視したような芝居になってしまいました。レイちゃんもそうだったと。

でも、二日目の方が、三人の立ち位置がはっきりして、よかったって言ってくれる人もいたり。二日間通して、笑ったり、涙ぐんだりしながら観てくれる人達がいて、もっとずーっとこの先も観ていたかったって言ってくれる人達がいて、すごくよかったよーっていう言葉と笑顔を沢山いただいて、ああ「白夜の家族」をここで再演できて、本当によかったな、って思いました。

この作品を前回観ていてくれた方達もいて、急にその時に戻ったみたいだった、って言ってくれたり。

観てくれた方達の心に少しでも残るものがあったのなら、とても嬉しいと思う。

やっぱりね。本番はいいですね。自分たちの関係・空間との関係・観客との関係。自分と他者の間で生まれる空気。私は語れるほど舞台に立っていないけれど、特別の空間が生まれる瞬間をたまらなく愛しく思う。

私は、10年前に、舞台表現の世界で生きていくことを諦めたんですよね。舞台はとても好きだけれど、そこに注ぎ込むエネルギーと予算と時間を割くことが、私にはできないと。

稽古だけじゃなくて、仲間といろんな話もしました。子供を産む前と後で変わったこと。表現し続けるということ。どうやって生きていくかっていう話。

私は、舞台表現という道は選ばなかったけれど。そしてこれから舞台に上がる機会はほぼないと思うけれど、何かしらの手段で表現をしていける人になりたいと願う。

きっとその表現方法は、私にとっては、今は書くことで、これからはどうなっていくかは分からないけれど。

くすっと笑ったり、思わず涙ぐんじゃったりするような作品を作っていけたらいいなって思う。すごく思う。必要としてくれる誰かの心に残る何かを作りたいって思う。

もっと他にも書きたいことがいっぱいあった気がするんだけど。まとまらないから。とりあえずこのまま出してみます。

このイベントを作りあげて下さった方々、見に来て下さった方々、声をかけてくれた仲間たち、関わってくれた全ての方々に深く大きな感謝を込めて。

それから、文ちゃん、ありがとね。

また、会えたらいいな。

posted by かこ at 00:15 | Comment(0) | つぶやき
2015年06月13日

カフェラテ十三分間

キミがいつものようにレーズンパンをかじっているころ、もそもそと起き出して、キッチンに向かう。

ケトルのお湯は一度沸いて温まっている。もう一度火にかけて、沸騰させている間に、マグカップを棚から取り出し、ドリップコーヒーの封を切り、セットする。コーヒーの粉の上に、スティック一本分の砂糖をのせる。邪道だな、と思いながら。

無造作にお湯を注ぎ、カップからフィルターを外したら、冷蔵庫から取り出した紙パックから牛乳を適当に注ぐ。

はい。と、テーブルにカフェラテのカップを置くと、キミはとても嬉しそうにする。

忙しくて入れられなかった日は、今日はカフェラテ飲めなかったって、出かける前にちょっとだけ残念そうに言うから、明日も入れてあげたいと思う。

私がキミにしてあげていることはそれくらいだけど。

それでキミが嬉しいのなら、おやすいごようさって思う。

お願いされた訳でも、誓った訳でもないけれど、キミのために使う朝の三分間と、キミがカフェラテを飲みながらPCを眺める十分間が、私たちのささやかないつもの約束。

posted by かこ at 10:26 | Comment(0) | おいしい記憶