音と紅茶の時間TOPつぶやき
2014年11月29日

人は、見つめている方へ、向かって行く

スキーを滑るとき、木にぶつからないようにするには
どうしたらいいか知ってるかい?

木を見ないで、進みたい方を見ていればいいんだよ。

ぶつかる、そっちに行くと危ないって思った時は、
行きたくない場所を見るのではなくて、行きたい
ところだけに目を向けるんだよ。

視線の向きに沿って、スキー板も進んでいくんだよ。

*****

小学生のとき、スキー場で、父が教えてくれたことを
ふと、思い出した。

身体は、視線を向けた方に、進んで行く。

人は、見つめている方へ、向かって行く。

*****

ああはなりたくないという他者を眺めるのではなく、
足元だけに視線を落とすのではなく、
こうありたいと思う自分の少し先を見つめていたい。

人は、見つめている方へ、向かって行くのだから。

posted by かこ at 11:33 | Comment(2) | つぶやき
2014年11月03日

幸せと心のすきま風

ああ、こういうのを幸せっていうのかもしれない、
と感じたすぐ後に訪れる、淋しい気持ちはどこから来るのだろう?

幸せというのは、何かをしている途中で感じる、
嬉しい気持ちだったり、楽しい気持ちだったりするんじゃないかと
思ったりする。

幸せというのは、手に入る結果ではなく、途中経過で訪れる感情。

だから、幸せを感じることはできても、幸せになることを
追い求めるのは難しいんじゃないかと思ったりする。

幸せであろうとするならば、他の人から見て、
どういう風であれば、幸せに見えるんだろうと考えて
そうなろうとするのではなく、何をしているときに、
自分が面白いと思ったり、安心したり、笑っていられるんだろう、
って考えるのがいいのかもしれない。

幸せだとじんわり感じた後に、すーっとした淋しさを感じるのは、
幸せが終点ではなく、道の途中にあり、通り過ぎてしまうものだと
知っているからなのかもしれない。

posted by かこ at 13:59 | Comment(0) | つぶやき
2014年09月05日

やる気がないままたらたらやってみよう〜生理的覚醒による優勢反応の強化

勉強しなきゃ、とか、家を片付けなくちゃ、とか、あの書類を
書かなくちゃ、などと思っているとき、やる気を出そうとしても、
ますますやりたくなくなってしまって、結局、進められないって
ことはないでしょうか?

今年は家計簿を書こう!とか新年の目標を立てても、ぜんぜん
書く気が起きない、続かない、とか、ありがちですよね。

普段やりなれていないことを気合いを入れてはじめようとすると
三日坊主になってしまう。どうしてでしょうか?

*****

先日、『生理的覚醒による優勢反応の強化』という心理学用語が
あると聞きまして、なるほどなぁ、と自分でも思うところが
あったのでご紹介します。

今ひとつ、根拠となる論文や文献にたどりつけなかったので、
ネット上の情報をつまんでまとめた私なりの解釈になります。
ご了承ください。

*****

まず、「生理的覚醒」とは何かというと、脈拍が上がった状態。
緊張したり興奮しているとき、どきどきしている状態。

「優先反応」の方は、普段からいつもやっている行動のこと。
より強い気持ち、ともいうようです。

二つ合わせると、こういうことです。

「気合いを入れると、自分の中で好きなこと、やりたいことは
もっとやりたくなり、気が向かないこと、嫌いなこと、普段から
やっていないハードルの高いことは、ますますやりたくなくなる」

好きなことはもっと好きになる。嫌いなことはもっと嫌いになる。
強い気持ちの方が、よくも悪くも強化される。

(緊張したときにはいつもと同じ行動が出やすくなる、
という風にも解釈できます。)

*****

やりたくないことに気合いを入れて、やる気を出そうというのは
逆効果。面倒だと思うことは、よりめんどくさくなる。

じゃあ、どうしたらいいのかっていうと、気が重くてもやらなくては
いけないことや、やってみたいけど難しそうなことは、気が向かない
まま、とりあえず、たらたらはじめてみるのがよい、と。

学校や会社に行きたくなーい、って時は、気分を変えよう!とせずに、
行きたくない気分のまま、とりあえず着替えて家を出る。
宿題はやる気がなくてもノートを広げて鉛筆を出す。
面倒でやりたくもない家事はしぶしぶ習慣にしてしまう。

ってことは、嫌いな人を好きになろうというのは無駄な努力という
ことですね。ますます嫌いになってしまうので、嫌いなまま、
あきらめてお付き合いする方が吉、と。

*****

と、いうことで、やる気って出そうとしないほうがいいようです。
今ひとつ気が進まない時や、普段やっていないことにチャレンジ
する時には、気合いをいれずに、ゆるりと始めてみましょうか。

posted by かこ at 18:27 | Comment(4) | つぶやき
2014年07月05日

コーヒーのイントネーション

就職で東京に出てきて、まもなくのころ。

職場で、机の引き出しに置いているお茶の話をしていたら、少し離れた席の
先輩が、「ちょ、ちょ、ちょっと・・・」と、慌てた様子でやってきて、
私を後ろに引っ張って言った。

先輩は小声で「コーヒーじゃないよ、コーヒーだよ。」と。
「コ、コーヒーですか?コーヒーじゃなくて、コーヒー、コーヒー・・・。」
「うん。コーヒー。」

北海道では、英語のCoffeeと同じように、一番最初のコの音が高くなる。
東京では平坦に発音する。指摘されるまでまったく気づいていなかった。

先輩も札幌出身。
会話の中で、私がコーヒーと連発しているのが聞こえてきて、きゃーっと
なったのだろう。昔の自分を見ているみたいで恥ずかしかったに違いない。

東京には北海道出身者はけっこういるから、先輩も私と同じように、新人の
ころに、他の北海道出身の先輩から教えてもらったのかもしれない。
先輩とはチームが違ったのだけれど、いつもそれとなく気にかけてくれて、
とてもありがたい存在だった。

それから私は、コーヒーと口に出そうとするたびに、英語のアクセントと
違う方が標準語、と頭の中で繰り返した。関東で20年近く過ごした今では、
平坦にコーヒーと発音できているつもりではあるけれど、時々分からなく
なって、しばし考えることがある。

*****

わりと最近、仕事で知り合った人で、コーヒーを英語と同じアクセントで
話す人がいたので、「ひょっとして、北海道出身ですか?」と聞いてみたら、
「なんで分かったの?」とかなり驚いていた。

「私もそうだったのですが、コーヒーのイントネーションが違ったので。」と
言うと、「上京してから10年以上経つけど、気づかなかった。コーヒーね、
コーヒー・・・。」と、ぶつぶつ繰り返していた。

同郷の人を発見できて、なんだか、ちょっと嬉しくなった。

したっけ。

タグ:コーヒー
posted by かこ at 11:01 | Comment(2) | つぶやき
2014年01月08日

雇われ店長の切なさ

〜雇われ店長のお店で働く雇われ店員が思ったこと〜

私は今まで何度も、雇われ店長のいるお店で働いてきた。

お客さまはあまり意識していないかもしれないけれど、
飲食店をはじめとして、経営の責任者が店長ではなく、
その上にいるオーナーであるお店は、けっこう多い。

雇われ店長になる最大のメリットは、資金がなくても
自分のお店が持てる、ということだと思う。

でも、この『自分のお店』というのが、けっこう曲者で、
お店の売り上げなどには責任があるけれど、店長の権限で
なんでも自由に決められるわけではない。

メニューや価格、内装など、お店がどの程度、店長に任される
かっていうのは、オーナーの性格によるところが多いけれど、
お店の売り上げを上げるために、こういうことをしてみたい、
と言っても、オーナーがダメといえばダメだし、
従業員を雇うのにも、自分が採用に関わることができても、
オーナーが連れてきた人は、無条件で受け入れなくては
いけなかったりする。

同じオーナーの経営するお店でも、店長によってぜんぜん違う
雰囲気のお店になったりする。

店長ってのは、自分のお店に愛着があるものと思うんだ。
お店のことをいつも考えてるし、お客さまのことを考えているし、
一緒に働く従業員のことだって、考えてる。

雇われ店長の最大の悲劇は、お店を開店する、閉店する
決定権がないってことだと思う。

お店がわりとうまくいっていても、オーナーが飽きて
違う店にしよう、と言ったらそうなるし、もっと気に入った
お店を任せてみたい人物が現れたら、店長交替になったりする。

店長はオーナーから、希望すれば新しい店長の下で働いていいよ、
と言われたりするけれども、『自分のお店』が、ある日やってきた
知らない人物に乗っ取られて、その下で働ける気丈な元店長は
少ないだろう。

どんなに『自分のお店』を大切に思っていても、本当の意味で
自分のものにすることができない雇われ店長のお店が、
オーナーの意向であっさり無くなるのを見るたびに、切ないなぁ、
と雇われ店員である私は思うのだ。

もちろん、店長と一緒に作ってきた、自分が大好きで、大切に思って
いた空間が消えてしまうのが、一番淋しかったりするのだけれど。

posted by かこ at 18:24 | Comment(2) | つぶやき